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安土城跡と安土考古博物館

「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」は織田信長の性格を歌っている。その信長公の安土城は天正7年(1579年)に造った日本で初めて天守閣を持つ城。また、世界で初めての木造高層建築でもあった。

安土城跡
昔は拝観料は無かったが、現在は大人¥|500 小人¥100となっていた。

IMG_4861.jpg
入り口に拝観者の為のが置かれている。必要も無いが、子供が持ちたがるので1本持参した。すぐに飽きて私に渡されそうで嫌な気がした。

大手道
天守閣跡地まで405段、たいした段数ではないが角度がきつい。大手道はまだ緩やかだ。

安土城 石仏
石段に石仏が彫ってある。(写真真ん中/右上)

     安土城中腹
大手道の終わり付近、振り返るとかなりの高さまで登ってきたことが分かる。

安土城天守閣跡
あぁ、もうすぐ天守閣跡地だ。

安土城天守閣跡の風景
天守閣跡地からの眺望。
四方を干拓により陸となっているが、当時は琵琶湖の内湖に囲まれ南方だけが開かれていた。

     安土城内三重塔
降りに入る、途中にある三重塔

西の湖
ここからの風景は絶景だ。写真では分かりにくい。

疲れた人
あと少しで安土城跡地の出入り口に着く。杖があって良かった、子供に感謝しなければ。

安土城考古博物館
近くの安土城考古博物館へ移動。
第一常設展示は瓢箪山古墳竪穴式石室の実物大復元模型や銅鐸。
第二常設展示は安土城と信長の謎に迫る。

信楽焼き
企画展示室では信楽焼きを展示していた。
印象に残ったのは、信楽焼きの手りゅう弾地雷

近江黒毛和牛の釜揚げうどん
やっとお昼。
同館1Fの食堂で「近江黒毛和牛の釜揚げうどん」を食べた、お勧めのメニュー。

信長の館
隣の「信長の館」へ徒歩で移動。1992年の「スペイン・セビリア万国博覧会」の日本館の展示として忠実に復元された安土城5,6階部分が展示してある。

     安土城天守閣
絢爛豪華の安土城の天守閣。築城3年後の1582年に焼失、原因は織田信雄(おだのぶかつ)が誤って焼き払ったという説、敗走する明智軍による放火という説などあり現在に至っても分かっていない

安土城 天界をイメージした5階黄金の間
配置図
天主5階部分は仏教の世界観による理想郷を象徴している。宇宙空間を表す八角形の空間。この形はどこかで見たことある、さてどこだったか。

籠目紋による太極(虚数反転)
2009年の貴方の運勢

安土城6階内部
天主6階部分は正方形をしており、伏義・神農図、孔子図、老子図などが描かれている。

安土城は敵の進入を防ぐ為の隔壁や内門が少なく、軍事用の城ではない。大手道の写真にあるように曲がり角や門が少なく天守閣へと直結している。信長はこの城を戦だけの為に造ってはいないようだ。安土城天主内の天井、壁画には仏教道教儒教を題材とした絵画を使用している。織田信長は日本古来から続く神道から西洋文化に至るまで、多文化の融合を試みていたのだろうか。

冷酷で残虐で戦好きのイメージを持つ信長であるが、反面、平和な世界を望んでいた印象を受けた。そして、天守閣に見られるように宇宙の真理を理解していた彼は、自分こそが国内の安定を成し遂げられると知っていたのだろう。彼は戦い、そして戦いの中で死んだ。
しかし、、信長の夢は今もこの地に刻まれている。

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theme : 史跡巡り
genre : 旅行

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No title

はじめまして。
安土城の石段にある石仏のこと、はじめて知りました。
私、個人的に磨崖仏の探査をしているので、ちょっと興味を持ちましたもので……。
同じ頃の福知山城や坂本城の址からは、墓石が石垣に使われている例が報告されていますが、それと良く似た例ですね。

 とてもきれいな写真で、まるで自分も旅している気分になりました。

 あー、旅したい!

  • 2009-03-17
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信長の信心

戦場に赴き、帰還する戦乱の中に活路を見出す。
これは、生と死に直面する毎日なのでしょう。
必然的に実存的な自己に対峙し、信心への道を開いたのでしょうか。
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